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Japan Inter Culture / 一般社団法人日本国際文化協会(JIC) / 国際交流は新しい未来の心を開く

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インターフェイスサークル
中條会長講演
インターフェイスサークル / 平成22年07月12日



平成22年7月12日(月)午後6時より霞会館において午後6時から8時まで開催されました。中條会長の日本の将来を憂え、これからの日本人の生き方を示唆されたお話をお伺いいたしました。(講演概要掲載)

文化と歴史 ―― 縦糸と横糸文化      
昨日の選挙は安堵なさった人、そして心配した人、様々だと思いますが、 今日、私としましては「ニッポン人っていうのは大したものだなぁ」と。この、何かあるときには、『天皇』という、中庸の道ですね・・源平に分かれようが、藤橘に分かれようが、皇室はしかるべき距離にあってそしてどっちにも付かずというような状態であって解決する、皆さん歴史で学ばれたように、本来この国は紛れも無く、聖徳徳太子の頃から「かんながら」の道であったことは間違いありませんね。
私がしょっちゅう主張している「縦軸の構築」なんですね。「縦軸」といってちょっと解らなかったら、「縦糸」を紡いでいると思ってください。そして「先祖を大切にしなさい」と叫んでいるお母さんもお祖母さんも、やがては孫があるいは娘が結婚をして子供が出来れば、子孫として存在するわけですよね。つまりは自分が先祖の仲間入りをするわけですよね。こういう「縦軸」「縦糸」ですね。
これがホントに地球上の民族の中で最もね、最も、私が研究した中では、強い民族ではないでしょうか。そのど真ん中にちょうど 『皇室』がいらっしゃる。そしてその『皇室』は、よその国に大方そうであるように、征服者ではありませんから、神話を綴って、そして今でも「天皇陛下」の、「天皇」の固有名詞で1400年、追求できるような縦軸の王室はどこを探しても絶対にありません。皆さん京都に旅なさると、ずーと天皇がお住まいになった京都御所を見てください。
これくらいの幅の溝しかないじゃないですか。我々民族は自然と最も共存してきた民族です。
筑波大学の村上和雄先生の表現を借りれば「サムシング・グレ†ト」自分より偉いものをセッティングして、自分を低く見る謙虚さとして捉えてきたんですね。
ですから、キリスト教のゴッドとはまったく違いますね。心の中で感じ取る謙虚さ、そうしたようなものを「神」と呼んでですね、そしてその「神」の為す業だと言ってですね、お百姓さんたちはですね、諦めた・・と同時にその「神」に再びこういうものが来ないように、とお祭りしたんですね。
我々国民を、我々国民に代わってですね、神使いする役割を皇室はなさっているといっていいんじゃないでしょうか。今、主だったものだけでも30くらい陛下は勤めていらっしゃるのではないかと思います、一番は新嘗祭を大事になさっておられます。この日本は、方々から伝わっている文化の中で、正月は米の感謝の気持ちが強いので、皆、お餅で色々お食事をなさるでしょ。お中元の時期は「麦」の感謝祭ですから、蕎麦だとかですね、そうした「麦」に関する感謝という伝習で来てるんです。
そして陛下は民に災いが起きますと、たとえば普賢岳で爆発が起きますと、「わ」が悩み、そして新潟山古志村が崩れると「わ」が悩み、ですから、すぐお見舞いにいらっしゃる。阪神なんか7回も行っておられます。山古志村のその当時の村長が一緒にヘリコプターに同乗しておりますと、「牛はどうなっていますか?」「木々はどうなっていますか?」と、あまりに村のことを思ってくださるので、感極まって充分説明できなかったと、そして村民が長岡の体育館に避難していますと、そちらに行っていただきますと、「靴でお見舞いしてもらったらとんでもありません」ということでお許しにならないし、スリッパもお履きにならない。皆さんもテレビでご覧になるとおり、天皇はなるべく被災者に緊張感を持たせないように、慣れないワイシャツを腕まくりなさって、そして体育館では膝まづいて、そして見舞う人との目線を合わせてですね、そしてお手まで握ってお見舞いなさる。そのうち見舞われるおばあさん達が手を合わせて泣き出す。こんな臣民の関係をですね、他国で、皆さん、ご存知だったら私に教えてください。私たち民族は、長い歴史の中でこのように縦糸と横糸を構築していたのだと思います。
そして横糸を考えて見ますと、ミズホの国ですから田植えをする。この部屋を一人で田植えしなさいと言われたことを考えて御覧なさい。凄まじい労働観ですよ。我々の先人たちは、田植えのときは、後ろの家も前の家も、左右両隣の人たちもいっしょになって共同で田植えをしたんですね。それでも尚、辛いから、「田植え歌」というのが各地方にたくさん残っています。歌をうたう。そして都会の人たちに継ぎたいと思いますが、日本語でね「オフクアゲ」という言葉が残っています。それは一軒で筍をもらったとしましょう。そうすると独り占めしないんです。苦労を一緒にしているんですから。その隣の人たちと、一緒に「オフクアゲ」として一緒に食べていたんです。ますます横軸がハッキリしてくる。練られてくる。横糸の紬がしっかりしてくる。ですから、今日の課題の【日本の文化】といったら、皆さんね、難しく考えること無いんですよ。
だいたい日本人っていうのは、産まれたときは神参りで、お葬式はお寺でっていう、まぁまったく融通の「わ」の精神ですね。そうして築いてきたから、結局は「縦糸」で先祖がよぉく見える、ですからこの国では、みんなどの国でも、戦前は、「そんなことをしたら先祖様に申し訳ない」「そんなことしたら子孫に恥を残す」「そんなことをしたら隣の人に笑われるよ」といって、この日本の文化を紡いできたんです。つまりは「恥」の文化ですね。
これがなんと、皆さんが経営なさってきた、特に経営者はよく解ると思いますがね、あなたが社長さんとしましよう。そうすると、そのあなたの会社が成績を良くする為に、予算を達成するためには社長さんが、経営理念を向けて、矢印に向かって頑張っているその社長の示す矢印に、専務・常務はおろか、新入社員の矢印まで合わせないと予算は達成できないものなんですよ。
これを今、経営では「ベクトル合わせ」と呼んでいるんですね。なんと、この民族は、そんな「ベクトル合わせ」なんてね、気障っぽい派手な表現は何も知りませんでした。しかし、たたずまいが、生きていくその姿そのものが、今、考えてみればこの日本民族はですね、この「ベクトル合わせ」を限りなく、進めてきた民族なんですね。

官僚の教育方針とは――
明治政府は国家を豊かにするには立派な官僚を作らなければいけない。官僚つくりのために作ったのが旧制高校、帝国大学であったのですが、私が大変素晴らしいと思ったのは、旧制高校の定員です。帝国大学の定員と同じ数でした。旧制高校に入るには、大変難しく三浪も四浪もしたんです。そして凄まじい、凄まじい、学びの舎だった。実学は一切教えなかったんです。しかも明治の人たちは、急ぐ人たちには高等商業等の実学の学校も作りました。旧制高校は、賢い人ほど人との絆が弱い人が多く1年間は絶対に全寮制を命じていました。どこの旧制高校も天井や壁は落書きだらけの凄まじさです。色々ないたずらをしたりしていましたが、町の人たちは、必ずこの人たちは将来偉い人になると期待をかけていました。許容量が広いんですね。しかし、マッカーサーはこのような教育に対し、危機感を覚えて、この日本の教育方針を破壊することにしたのです。日本の一番の特質である絆の強さ、この文化を徹底的に破壊したのです。徹底した「日本の絆の破壊」だと考えて間違いありません。
結論はね、うんと日本を磨くというね、綺麗にする、そしてそれと同時に環境を整えたら人間も礼儀正しくなる。
こういう話をして皆で勉強していきましょうよ。それでこの間に、たまにはね、本来やっていたように外国の大使・公使に出てもらって、よしみを深くして、そして日本をよく知ってもらって、かつ、我々も外国をよく知って、そして私の理想は、こんな素敵な四季があり、山紫水明で、どこでも水が飲めて、この環境の時代に日本はモデルの国になりうると思うんですよ。「とてもじゃないけど、あの国はおとぎの国だよ†。」という国づくりをすることこそ、一番の平和論じゃないのかなぁと、それが完成したら、核なんか持たなくても世界中がこの国を宝にしますよ!!                           

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