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Japan Inter Culture / 一般社団法人日本国際文化協会(JIC) / 国際交流は新しい未来の心を開く

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芸術文化
市川團十郎丈をお迎えして
芸術文化 / 平成20年11月14日




 平成20年11月14日(金)午後6時より、鹿鳴館の後身である東京倶楽部(東京・六本木)において、歌舞伎役者の市川團十郎丈をゲストに迎えて講演会並びに会食会を開催しました。当日は團十郎丈夫人を始め中條会長、片倉副会長、田中理事長、松平理事、川崎大師の小鍋師様、成田屋と関係の深い成田山新勝寺の伊藤師様他、約100名近い参加者で会場満席の盛況でした。また、日本語の流暢なサンマリノ大使、ベネズエラ大使、モンゴル大使夫人も参加されて、歌舞伎世界の話に熱心に耳を傾けておられました。
 開会の挨拶をされる中條会長講演の後、團十郎丈と夫人に御礼と退院祝賀の花束を贈呈しました。会食会の時間は、名刺交換で参加者との親睦交流や團十郎丈・夫人との記念撮影と会場は大いに盛り上がり、事務局は閉会を告げるのに戸惑うほどでした。
《講演概要》
 中條会長からお話があったように、先月の14日に退院いたしまして、ちょうど一ヶ月ということでございます。そして先ほどもお話がありましたように、もともと私の血液型はA型でした。でたまたま、ドナーの妹と骨髄が合いまして、彼女はO型なんです。そこで今私は、A型からO型に変わりました。性格は本当に変わっていないと思っていますが、家内から見ると、ここんとこ、ずっと掃除ばっかりやってるんです。前は気になんなかったホコリとか桟のところなんか、一所懸命指で掃除したり、拭き掃除したりしています。性格が多少変わったのかなという感じがしております。

本当のゆとりとは
 もともと、私は歌舞伎という家に生まれました。たまたま生まれたということでございますが、おかげさまで、子供のころから、日本の音楽を聴き、着物を着て、それから日本の風習では、6歳の6月6日から習い事をするのがいいと、昔は数え歳ですから、今ですと5歳からですね。5歳からいろんなことを教えるには良いという考え方が昔からあります。それなので、私どもも、また私の息子の海老蔵もそういうふうにして、そのころからいろんなものを勉強させる。
 日本は昔からやっている知恵や観察力があるってことは、すごいなと思います。本当にそういうことの蓄積で、「匂い」っていうんですよね。今は学校を卒業して、歌舞伎が好きな人が歌舞伎に入ってくるって状態なんですね。小学校からなかなか授業だなんだかんだって言って、芝居の世界に入れない、好きでも入れないんです。
 ところが、昔は私が小学校の頃は、小学生でも舞台に出ていました。そうすると「堀越君は午後からお休み」です。それでお芝居にいって、お芝居をして帰ってくる、その頃の先生は、それで通ったんです。出席日数が多少足んなくても、そういうことをやっているんだからいいんだと、これが遊んでたら怒るんでしょうけれど、ちゃんとそういうことをやってんだからいいんだと言うことで良かったんです。
 今だったら大変ですよね、でもそういうゆとりっていうんでしょうか、ゆとりの考え方が、文科省が途中でちょっと変わっちゃったなと思うんですが、ゆとりっていうのは、そういうもんだと思うんですよね。何にもやんないのがゆとりじゃないんですよね、他に何かやってて、それだからいいですよっていう心の広さがゆとりだと思います。そういうことをずっと私の小学生のぐらいまではやってくれていました。ところが倅の時代になると、一日でも出席日数が足んないと駄目ということで、卒業できなかったですけども、それがゆとりなのかどうなのか、我々古典の芸能に携わっている者は、やっぱりちっちゃい頃から、そういうものを勉強する、慣れる、馴染むということが、大事だってことを分かった方向を示して頂きたいな、と思います。高校になると、割合に専門的にやってくれますけれども、実はそれでは遅いんですよ。やるならもう小学生からやらないと駄目なんです。

歌舞伎の不思議さ
 歌舞伎が400年続いてきた中でも、そういう考え方に基づいて代々繋がってきたということもありますし、現代でも世襲だけではなくて、その代で優れた人は、歌舞伎役者として第一線で活躍できる土壌があるというのは、歌舞伎というものの柔軟性があると思っております。
 「歌舞伎ってのは何だろう」実は私も答えられないんです。歌舞伎ってもんは、不思議なもんで、いろんなパターンが自由にできる、というのが歌舞伎。
 江戸時代1603年に、出雲の阿国が京の四条河原で念仏舞を踊ったのが最初と言われておりますが、実際に我々が受け継いでいる歌舞伎は1659年ぐらいに野郎歌舞伎が確立して、それから出来たものが、今踏襲されているわけです。しかもそれは政府の弾圧を受けながら、その弾圧(弾圧と言っていいのかわかりませんが)、やっぱり風紀上の問題で禁止されたなら、新しい知恵を作り出した。それが今の歌舞伎に繋がっているわけです。
 歌舞伎には、市川家の「荒事」と、それから関西の「和事」と、皆さんご承知のことと思いますが、そういうものがあります。私どもは、歌舞伎の荒事という、江戸文化、江戸町人の考え方、楽しみをひとつにまとめたものが、江戸歌舞伎、それの代表が荒事ということです。荒事というのは、「勧善懲悪」です。つまりは、弱きを挫きいやいやいや大変だ(笑)、弱きを助け強きを挫く、今は逆なんですよね。弱きを挫き強きを助ける、ってのが今の世の中じゃないのかな?と気がしますが、江戸時代は弱きを助け強きを挫くと勧善懲悪の思想に則って、作劇されているわけです。

荒事の精神って
 それを土台にして歌舞伎十八番というものが生まれました。ですから歌舞伎十八番が荒事という勇猛果敢で神がかってて、しかも勧善懲悪、ちょっと前のプロレスみたいな、最後は必ず正義が勝って、「わー」と喜ぶといったような、単純だけども非常に今で思うと、いいなというような人間関係がそこには多くあったと思います。まさに、歌舞伎十八番の荒事に中には、そういう精神が非常に多く入っているわけです。
 それが最初の頃で、だんだん時代が変わってくると、江戸幕府も経済的に困ったりするわけですね。そうすると今、歌舞伎で言われている元っていうのが、文化文政から天保年間にある程度確立したといえます。天保年間に天保の改革、水野忠邦がやった改革、これは禁欲、贅沢は敵だというのが根本的な政策です。それなので歌舞伎も贅沢なんですよね。それなんで、方々に散らばってた劇場、例えば東京で言うと今の蛎殻町、人形町、日本橋の方とその辺に劇場が分かれていた、それをひとつにまとめられちゃったんです。それが、浅草の猿若町というところに江戸三座を集めた。それで役者も表を歩いちゃいけないと言われた。ですから芝居町以外は、出られなかった。それで鳥打という笠をちゃんと付けて歩けと言われ、非常に厳しいものが出た。

今より高い入場料
 このときの入場料は、いくらぐらいだと思いますか。今は、歌舞伎座はいくら?桟敷席が2万1千円、普通の椅子席が1万8千円。天保年間ぐらいの入場料は、今に換算するといくらぐらいだと思いますか?水野忠邦が緊縮をやってたわけです。贅沢は敵だとやっていた時代です。役者はそういうところに閉じ込められた。この時のだいたい桟敷で20匁、大体今の金額で3万円ぐらいですね。ですから今よりはるかに高いんですよ。でもそれが繁盛していたわけです。役者は座頭になると千両から千四百両もらえたんです。すごい値段なんです。でもこれは独り占めできないんです。今のシステムとは少し違いますが、座頭はひとつの会社の社長みたいなもので、社長が居ると、その脇のお弟子さんたちのAクラス、Bクラス、専務、課長が居て、床山さんを何人も抱えて、衣装というものを抱えて、衣装を自分で持っていました。ですから千両丸々もらっても、それだけの大所帯を養うのは実はけっこう大変なことでした。
 1月2月になると正月・初春公演、3月になると狂言が差し替えて弥生狂言。1月は曽我物といって、敵討ちをする曽我物が必ず出ます。弥生狂言というのは華やかなるもの、皐月狂言、それから夏芝居。夏になるとあんまり一杯着るようなものではなくて、例えば東海道中膝栗毛のようなものとか、四谷怪談などやられるわけです。それがだいたい7,8月ぐらいですね。9月になると秋公演があって、7,8月は幹部クラスは遊びに行っちゃう。今のフランスみたいに2ヶ月ぐらい居なくなっちゃう。秋になると戻ってくる。それで芝居をする。
 それでも人気がある人は、座元がそれだけ払うんです。ところが役者の大変なところは、人気が下がって、座元がそれだけ儲けられないと次に契約してくれないんです。そうすると千両ではだめだよって言われる。じゃ八百両でもいいという具合で半額ぐらいになっちゃう。でも大所帯を一年間養わなければならない。でも契約が結べればまだ良いほうで、もうあんた要らないよって言われれば、一年間無報酬でその人達を養い面倒を見なければならない。そういうシステムがございました。

管理された歌舞伎と自由な歌舞伎で
 また、その頃の面白いのは、大芝居と申しまして、中村座、森田座、市村座、そういうものは町奉行が管轄して認可を下ろすわけです。歌舞伎座をご覧になるとわかると思いますが、上に梵天みたいものが付いていまして、これが政府の許可証です。それから、相撲に行くとやぐらの上に、やっぱり梵天みたいなものが付いています。それも時の幕府の許可証なんですよね。ところが大芝居と宮地芝居がありまして、宮地芝居というのは、お寺の境内でテント芝居といいますか、菰芝居といいますか、そういうお芝居です。そういう場合は管轄が違うんですね。その人達は自由なんですよ。ていうのはなぜかというと、寺社奉行の宮のお寺の境内やなんかで、人集めにやるもんです。なので小屋も簡単に芝居小屋を作って芝居をやる。ところがその公演は寺社奉行の管轄なんです。片方は押し込められて、もう片方は自由で、品川辺りなどいろんなこところで芝居がやれちゃうわけです。そうするとお客さんも、わざわざ浅草まで、朝暗いうちに行かなくちゃいけない、ところが近くで似たような、少し簡単な芝居だけれども、その方が近くて早いやって事で、そっちに行ったりする。そこで、もめたりしたんですが、今の行政と似たところがあって、やっぱり部署が町奉行と寺社奉行の縦割りなので、両方は干渉できず、不思議な公演形態が生まれたなんてこともございます。
江戸の後半になると、今皆さんがご覧になっている歌舞伎に近いものをやられていると思ってくださって結構だと思います。

歌舞伎十八番の荒事『象引』を来年1月に
 私も順調に回復しまして、来年の1月には、国立劇場で『象引』をやらせていただきます。これは初代團十郎が演じたもので、歌舞伎十八番の荒事です。荒事の中でもいろんな演出があります。『暫』のように、戻す・押し戻すというもの、それは悪霊を外に出さないぞというパワーのものもあります。それから『鳴神』のように、男女の機微、女性の足を見て、粂仙人がおっこった。というのに準えて、そういう系統のものがあります。1月やらせていただくのは『象引』と申しまして、荒事の中でも、引合事といいます。引合事は、地方によっては大きな綱で引っ張りっこして吉凶を占う。こっちがいいと豊作だといったことがあります。それに準えて、善と悪が引き合うというのが根本になって、その間に入っているのが、象さんです。象を引っ張り合うというものです。

日本文化の見直しを
 歌舞伎というのも、日本の芸能というのも、ぜひ見直して頂きたいし、今やはりなんといっても右肩下がりといいますが、日本文化が右肩下がりになっております。これは本当に文化自体というものはものすごい観察力と洞察力の上に成り立ったものです。それと第2次世界大戦のいろんな悪いものがごっちゃ混ぜになりすぎていると思います。やはりもっとはっきりと日本の良いところは、良いところだって強調しないといけないと思います。
 私は、昨年パリオペラ座のガルニエで、歌舞伎を初めて公演させていただきました。やはりフランスに行くと、彼らのプライド・自尊心また街自体もエッフェル塔なども堂々と建っています。フランス人自身がこれはすばらしいんだと言います。しかし日本に戻ってくると、「あれが駄目だ、これが駄目だ」なんてばっかり言っています。それじゃ駄目になります。ここが良いんだということをもっと言わないと、私達にはこれだけのものがあります。例えばこの着物文化にしても、着物を解けば元の一反の生地に戻っちゃうんです。そういうものがこうやって着れてるわけですから、この知恵というのもすばらしいし、本当にこれから、今日は着物を着てくださっている女性の方が結構多いのでうれしいし、こちらの会の動きの中にも、日本舞踊やお花等々、いろいろ活動なさっていると聞いておりますし、これを機会に、日本人の誇りというものをもっとぶつけて頂きたい。
 日本のマスコミさんが居たら大変申し訳ないが、日本を駄目だ駄目だと貶し過ぎですよ。折角良い子も駄目になっちゃいます。煽てて育てるってのもひとつの育て方なんですよ。ぜひ歌舞伎の大らかな部分を通して、是非これから日本のこういうところが良いんですよって、日本の着物の色にしたって洋服にない色があります。独自の文化をもっと誇りに思ってほしいですし、もっとアピールしてほしいと思っております。

プライドを持って舞台へ
 私も海外公演でやはり日本はこうなんだとプライドを持って舞台に立つ、そのかわり責任はあると考えております。そのような心意気で舞台に立ちたい、また今後も歌舞伎に携わって行きたいと思っております。
 また着物というものも、着てくださることで、舞台の着物が良くなるんです。やはり着物を皆さんが着ないと着物の業者が駄目になる。そうすると新しい柄ができないんです。織元が新しい柄を作るためには、全部仕込んで新しい型を作って、それから織り込むわけですから、手間隙がかかる。とういうのを是非協力して頂きたいと思っております。これで私の話は終わりとさせていただきます。失礼いたしました。

質問: 今日参加した方々のお気持ちを尊宅しますと、今日本は子育てに苦労している。それなのに團十郎さんは海老蔵さんという素晴らしいお子さんが誕生したのは、親の躾か訓練か伝統の血筋ほとんどなのか、ここだけの話をしてほしい。
応答:自分が子供のときと倅のときと考え合わせますと、ずいぶん我々の頃は素直だったなと思います。我々の頃は、次に先輩に教わるときも情報が無いんです。なんにもわかんないところで教わるから先輩が頼りなんです。ところが時代が変わってきて、教える立場より教わる者の方が情報が多い。例えばひとつ役をやりますと、DVDなんかで一所懸命勉強しちゃうんですよね。なので、あの人はこうやってるってわかっているんですよね。教える側がこうだといっても、いやこの人はこう言っているといって、それをいや違うと訂正しなくちゃならないとか、そのへんが非常に難しいですよね。なので情報が無い人に教えるのが教え易いわけです。情報が多い人に教えるっていうのはなかなか難しいですね。怒るのも、前はわっと怒れば、昔は手出しができないから付いて、今は教わらなくても出来ちゃう可能性があるわけです。しかし細かいことは分かりません。
歌舞伎は面白いことに、裏では見た目と違うことをやっているわけですよね。例えば仮名手本忠臣蔵の中で、5、6段目で財布が行ったり来たりするんですよね。裏では6個の財布を使っているんです。それが1つしかないように見えるように工夫しているとか、そういうのが見た目ではわかんないんですよね。そういうことを教えていく。ありがたいことに彼らも、見た目ではわかんない部分を我々がやっているんだということを理解していますので、だから教わらないといけないということは分かっていると思います。
一番ありがたいなと思うのは、親の背中を見て子が育つ環境にあるのは、ありがたいなと思います。なかなか親の背中を見る機会は今は少ないですよね。お子さんも親に対する気持ちが薄い。
 親がこうやってんだ、こうなんだっていうので、なんとなくその道に入ってくれる。別に私どもの場合は、なにがなんでも倅が歌舞伎役者になる必要はないです。途中でやめちゃう人もいれば、途中から芸養子といいまして、身内でない人を子として育てて、名前を名跡を継ぐかたちもあります。ですから日本の昔は「道楽息子、総領の甚六が継ぐよりも、家付き娘に良い人を添わしたほうが発展する」といったようなこともあったわけですが、それと似たようなことも今までは行われていました。でも一番親の背中を見させる、そのかわり親も結構大変です、しんどいですが、見させるということではありがたいことだなと考えております。
(たいへんおもしろく興味深いお話のすべてを掲載することは出来ませんことをご了承下さい。)
  


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